ピアノ弾きには自分のピアノがない

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Wynton Marsalis.

 

 

 

 

 

 会話しているときに「あのヤノピ(ピアノ)はいい」と言ったときに、そのピアノが楽器を指すのか奏者を指すのかは、話の流れの中で文脈の前後で必然的にわかることなので、決して間違うことはないのですが、大体バンドマン同士が話をするときには、楽器名でその奏者を指すことが多いようです。

 

 前にも書いたようにドラムはたくさんの太鼓やシンバルをセットしなければならなくとも、それらは自分の楽器ですし、ラッパ或いはペットは本体のトランペットのほかにミュートも使いますし、ウッドベースの奏者もあんなに大きな楽器でも自分の楽器ですから、皆さんそれぞれ自分の楽器で演奏するのが当たり前であって、そしてその楽器自体が高価ですから誰もが楽器には神経を注ぎ、あれこれ悩むこともまた当然なことなのですが、特にサックスの人は「リード」の合う、合わないに常に悩んでいましたね。

 

 「リード」は消耗品ですから、そして購入した全てのリードが自分の感覚に合うわけではないので、何枚かはほとんど使われることもなく捨てられてしまう、というも珍しいことではないように見受けられましたし、そうなるとリードの代金の負担も大きいものだなと思って見てましたね。

 

 ラッパでしたらマウスピースが問題になります。

 

 基本、マウスピースの中が浅いのはハイトーンが出しやすいけれど、音色に深みがないし、深めのマウスピースは豊かな味のある音色になるけれどハイトーンは出ずらいというおおまかな傾向がありますから、そのどちらかを選んで吹くというのはなかなか悩ましい問題となるわけです。

 

 

 ところがピアノ(弾き)だけは、そういう自分の楽器にまつわる問題はないのですね。

 

 それぞれのお店に置いてある楽器としてのピアノを、それがどんな状態であれ、とにかく弾かなければならないわけで、音程が狂っていようが弦がたまたま切れてしまったばかりの後とか、自分が弦を切ってしまったとか、そんな楽器としては本来使えない状態のものであっても、調律してから、弦を張り替えてから弾きますということは絶対にできないので、どうやってもその場で弾かざるを得ないわけです。

 

 

 普通あの頃のキャバレー営業時間中に演奏する時間は大体5時間前後だったと思います。

 

 夕方の6時半頃からサブ(控え)のバンドが演奏し、お店自体が深夜の0時前には閉店しなければならなかったので、メインのバンドが11時半とか40分頃に演奏を終えるとすると、毎日大体5時間前後はびっしりと休みなくピアノを使っていることになります。

 

 月に一度の調律ではとても間に合わない膨大な時間量になっているわけで、一週間も経てばどこかしらの音程が狂ってきても不思議ではなく、そうかといってお店にすると余計な経費をかけたくないのは当然なのですから、それでなくとも調律なんてしなくともいいのではないか、と考えている経営者がいてもおかしくないような雰囲気だったので、余計な調律をする訳がなく、そのまま弾くより外に方法がないことになります。

 

 ピアノに転向してから何軒の店を回ったのか、もう今ではどうやっても思い出せないのですが、私が一番最初にピアノ弾きとしてバンドの中で演奏したその店だけはよく覚えています。

 

 飲食店ビルの半地下にあった小さなキャバレーで、そこのピアノはアップライト型でした。

 

 あとは転々としたのですが、その後はアップライト型のピアノはなかったように記憶してます。

 

小さくとも一応グランドピアノが置かれてあったのじゃないかなと思うのですが、トラ(エキストラ;臨時の仕事)で入った小さなクラブはそうでなかったかも知れません。

 

 何人かのピアノの人は調律用のあの固い弦を微妙に調整できる道具を持っていて、余りにもひどく音程が狂ってしまったときには、弦を自分で調律していた人もいました。

 

 まあ、狂ってくると一本や二本ではすまず、コード(和音)を鳴らすと異様な響きになるのですが、しかしやむを得ません。

 

 特に弦を切ってしまうとその弦の音は絶対に出ないのですから、メロディを弾く時にはオクターブ上げるか下げるかしなければ、ぽっかりと穴が開いてしまうので大変なことになります。

 

 慣れている曲ならばいのですが、初見の譜面の場合はその通りに弾いていくので、たまたまピアノがソロを取る場合でも、余裕がないときには弦が切れていることを忘れて、ついそのまま弾いてしまい、音が出てこないまま進行していったということもありました。

 

 

 自分の楽器を持ってそれを演奏するのではなく、自分の楽器ではないピアノを行った先々の店で演奏しなければならないというのは、楽なこともありますが、納得いかないこともままあって、私としては自分の楽器を持ち歩いたほうが良いかなと思っていたものでした。