クラシックの先生に就いて

f:id:sekaunto:20190417170213j:plain

Roy Hargrouve.

 

 

 

 

 

 小樽に帰ってから少し小さ目のアップライト型のピアノを買いました。いま思い出してもとても可愛らしいピアノで、きっともう今は生産していないのじゃないのかなと思われます。

 その後、1年か2年してそのピアノを下取りしてもらい、河合のあの当時80万位のピアノに買い替えたのでした。

 

 そして帰ってすぐに高校時代の同級生だった声楽志望のIさんからバイエルを習い、どの位の期間だったでしょうか、2か月か3か月位、バイエルを卒業してその彼女に札幌のピアノ講師の先生を紹介してもらい、ブルグミューラーとかそういう典型的な初心者コースのレッスンを続けていきました。

 

 

 もう23,4歳の大人になっていましたので、指もすっかり固まっていましたし、何より右利きのまま生活をしてきたのですから、左手の指の動かないこといったら、それはもう呆れるほど自由のきかないもので、特に右手もそうですが左手の中指と薬指はこれはなんというか絶望的に不自由そのもので、いくらゆっくり指を意識して動かしても薬指に力が伝わっていかないのですね。

 

 ひまがあれば中指と薬指だけの二本の指を机の上やテーブルの上でことことと意識して動かしていく練習をやり続けていきましたが、最後の最後までコントロールすることは結局できないままに終わってしまいました。

 

 

 その頃のレッスンを思い浮かべてみると、唯一誉められたのは子供向けの練習曲(湯浅譲二作曲だったか)の中にあったジャズ風の練習曲で、さすがに雰囲気がでていて上手だわと先生に褒められたことが記憶にありますが、それ以外は苦心惨憺、行くたびにがっくりと帰ってくるという光景しか思い浮かびません。

 

 子供のように素直に練習曲に入っていくということはもう出来なくなっていますので、とにかく一応理屈というか理論というか、感性よりもまず論理として納得できなければなかなか先へと進むことができない、という状態がよくあって、たとえば、ピアノって一音、一音打鍵しなければ音が鳴らない楽器ですよね。

 

 管楽器のように息を吹き込んでいる間中はずっと音が鳴っている、という楽器ではないわけで、どんなにスラーと指示されていようと、楽器の構造上は厳密には次の音を鳴らすためには今押している鍵盤から指が離れていかなければ次の音に今の音ががかぶさってしまう訳で、4分音符と4分音符が並んでいるときに、その長さを厳密に守ろうとしたときにはその音の長さには必ず隙間ができることになります。・・・これは勿論理屈です。

 

 どんなに早いフレーズでもピアノは基本的に一音、一音打鍵しなければ音が出てこないのですから、ペダルを使って共鳴させない限り、一音、一音途切れている筈です。ただ私たちの耳には音が切れることなく繋がって聞こえているだけであって、正確な計測をすればそうはなっていない筈だ、というこの屁理屈はしかし、別にレッスンに対して何か良い結果をもたらしたのかと言えばそんなことは全然なく、ただ、私自身の自分の不甲斐なさ(この場合でしたらスラーの表現がうまくできないというジレンマ)をなんとか他の手段で薄めたいという願望の一つの現れでしかなかったのだと、今はそう思います。

 

 とにかく全てが初めての経験だったのですから易しいということはなく、そうですね、例えば左手が4分音符を二つ弾く間に右手は三つの長さに平等に分割して(理屈では割り切れない長さとなるのですが)弾く二拍三連という練習があるとします。

 

 最初の左と右は同時ですが、左の四分音符の音の半分のときに右の二番目の音を出したら、それは八分音符の長さになるのですから、理屈上は八分音符よりもやや長く、けれど四分音符になってはいけない長さでなければならず、しかし実際は数字のように割り切れないのですから、感覚として同時の左右の次に右が鳴ると左の次の四分音符が鳴り、それを聞いて右の三つ目の音が鳴る、という言葉で書けば非常に面倒くさい長い文章となってしまうのですが、しかし実際はジャズやポップスでよく使われる手法なので、馴れれば別にどうということはなく、しかし、それを一人で左右別々に表現しなければならないというところに、ピアノの難しさとおもしろさがあったのでしょうが、初めてそれを表現しなければならない、というのは難しいものでした。

 

 

 そんなこんなでクラシックの先生についてレッスンを続けたのは2年か3年だったでしょうか。最後はベートーベンのピアノソナタ集を買って、私のテクニックで弾ける程度の易しいソナタで終わったのではないかな、と思います。