一人の歌手に運命を託す

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Thelonious Momk. and Miles davis.

 

 

 

 

 

  ときどき一人の歌手に自分の運命を託したピアノの彼を思い出すことがあります。

 

 

  キャバレーで仕事をしているとたくさんの歌手の伴奏(歌伴)をします。

 

 中にはレコードデビューしてその曲のキャンペーンのため全国を回っているという歌い手の方もいます。

 

 最初に音合わせをするときその歌い手さんの曲を聞いてしまうと、失礼ながら、ああこの曲ではヒットしないだろうなあとかよいメロディ、曲調なのでヒットして欲しいなあとか、それぞれ自分なりの感想を持ち、仲間と話し合ったりもします。

 

 バンドをやっている間に出会ったそういうキャンペーン中の歌手で大ヒット、あるいはヒットしてテレビに出るようになったという歌手には残念ながら会うことがなかったのですが、あの頃は特にそういうキャンペーンが有効な時代だったのではなかったかなと思われます。

 

 

 

 

 比較的長く在籍していたバンドのところで、すっかり顔なじみになった背の高い男性歌手がいました。

 

 演歌系だったと思いますが、その彼があの当時の東芝レコードからデビューすることになった、ということを聞いてバンドの仲間と共に喜んだことがありました。

 

 彼のレコーディングの話だと、結局世に出るレコードは実にきめ細かい声の切り貼りで出来ているようで、何気なく聞いている流行歌や歌謡曲と呼ばれているものが、実は一音一音選び抜かれて最終的に形になるんだなあと納得できる話でした。

 

 その彼のレコードを聞き、実際に彼の歌の伴奏をして、その曲がこれってもしかしてヒットしてもおかしくはないのじゃないか、と我々に思わせるものだったので、心から彼のデビューを喜び、レコード売れたら東京に出るとか出ないとか、どこかの店を借り切ってお祝いをしょうだとかのたわいもない話で盛り上がったりもしていたのでした。

 

 そんなとき私をびっくりさせるような話を聞きました。

 

 相方のバンドでピアノを弾いていた彼氏がバンドを止めて、そのレコードデビューした男性歌手のキャンペーンの為に専属のマネージャーとなって、彼の歌に自分の人生を託したということを聞いたのです。

 

 確かにその曲は我々バンドマンにとってもヒットの兆しが見えてはいたとしても、そこにはあくまでも身内としてのひいきの思いが込められていたでしょうし、実際流行歌とか歌謡曲とかと呼ばれていた様々な曲がヒットする絶対的な法則などはどこにもなく、いわば偶然にまかせるかただ神のみぞ知るという領域の出来事であってみれば、その演歌の曲がヒットする可能性はゼロか百か、その中間は無いということにならざるを得ないわけで、そういう博奕の世界に突然飛び込む決断を下したということ自体が私には驚きで、いまいち心情的に深く理解できなかったのを覚えています。

 

 しかし、ともかくサイコロは投げられたのです。

 

 吉とでるか凶とでるかは行動してみなければわかりません。

 

 一か月が勝負だとピアノの彼氏と男性の歌い手が言ってました。

 

 たった一か月でこの広い北海道を丁寧に回り切ることは不可能ですが、まあ、大体のクラブやキャバレー、レコード店や大勢の人が集まる場所、それらの情報をどのようにして入手するのか私にはわかりませんが、とにかく彼ら二人はまず札幌を中心に、次には地方へと彼らの人生を懸けてキャンペーンに乗り出したのでした。

 

 その具体的なことはわかりません。

 

 私はいつものようにいつもの店で演奏していたのですが、しかし何といってもつい先日まで顔を合わせてお互いに相方としてピアノを弾いていた彼氏と、すっかり顔なじみになって冗談を言い合っていた歌い手さんのキャンペーンの成果が気にならない筈はありません。

 

 特にその相方のバンドでピアノを弾いていた彼氏はどちらかと言えば大人しめの物静かな印象だったので、その突然の豹変ぶり、運命共同体としての一人の歌手の専属のマネージャーとして、ぴったりとバンドの世界から足を洗ってゼロか百かの世界にまっすぐに飛び込んでいったその勇気というか、決断力にはびっくりしたものです。

 

 

 私もろくに音もでないくせにジャズマンを夢見て上京するまでには、それなりの葛藤と決断を要したのですが、バンドマンとしての生活を捨てて山のものとも海のものともわからない、歌手のマネージャーに飛び込むことに比べれば、まだたやすいことで在ったかも知れません。

 

 

 結果はただ神のみぞ知るです。

 

 行動しなければ何も得られないのは火を見るより明らかです。

 

 

 

 

 結果はしかし残念なものでした。

 

 

 彼ら二人の懸命なキャンペーンにも関わらず、ヒットの兆しは見えず、二回目のレコーディングもなく、私はついに彼ら二人のその後の様子を知ることができないまま、やがてバンドを離れていくことになりました。

 

 しかしとにかくあのピアノの彼氏は大いなる夢と野望をあのとき、一人の歌手の上に託したのです。その結果がどうであれ、あのときの彼は見知らぬ運命に向かって大きく飛んだのでした。

 

 

 それでいいのだと私は思います。