芸能「山城組」の衝撃

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Janis Joplin.

 

 

 

 

 

 芸能「山城組」の合唱を初めて聞いたとき、その圧倒的な声量で地の底から湧き出てきたような、或いは天から降り注ぎ続けて止まない土砂降りの雨のような力強さに、心底から体が震え聞いていて思わず「おおー」と叫んだ強烈な体験があります。

 

 元々はブルガリア民族音楽、その合唱を引き継いで生まれたもののようですが、世界でも稀なその民族音楽としての合唱こそ大地の母が産んだとしか思えない、力強い魂を揺さぶる音楽だったので、ジャズ一辺倒で聞き続けてきた私にとってはジャズ以外で初めて直に体と心を揺する、皮膚の表面に電気が走る得難い体験となり、すぐその印象を「山城組」に送ったところ、「山城組」が発行している広報誌のようなものに掲載され、その記事をずっと持っていたのですが、たまたまの引っ越しでそれら全てを処分してしまったので、残念ながらその手記をここに載せることはできないのですが、とにかくそのような人生の内でそう何回もない極めて稀な体験を、芸能「山城組」の合唱から受けたのでした。

 

 

 音楽って美術と違って聞く瞬間ごとにその音は消え去っていくのですが、残像というかそれら消え去っていった音の何らかの印象は止まり続けているので、曲が終わってもそれらの連続的な印象から曲の全体像が言葉では的確に表現できなくとも、自分の中では確かに一つの曲が終わったという総合的な判断ができているのだと思われるのですが、その消え去りつつある、けれど次から次へと湧き起ってくる音のその根底へと意識が明瞭に指向するそのとき、何かしらの感動が、音楽でしか得られない微妙な体験が表に出てくるのではないかと想像するのですが、どうでしょう。

 

 「山城組」の合唱は例えば文部省が主催する合唱コンクールで歌われるような合唱とはまるで次元が違っていて、地声そのものの洗練される以前の太い粗削りそのものの声が重なり合い、響き合うので初めて聞く時には何か合唱で造られた丸太のようなもので体を叩きのめされるような、そんな強烈な忘れられない印象体験を伴うと言ってもよいと思います。

 

 しばらくはこの山城組とそのルーツであるブルガリア民族音楽に夢中になりました。

 

 勿論それ以降もそのときの印象が完全に消えるということはなかったのですが、やはりジャズが好きな私にとっては仕事とは関係のない合唱そのものと向き合うことは長くは続かず、いつしか聞くこともなくなって、ふと思いついて聞いてみても、さすがに最初に受けた圧倒的な迫力はもう感じられなくなり、いつの間にかこうして今に至っているのですが、でも芸能「山城組」の合唱は私にとっての得難い音楽体験の一つとなったことは事実であり、いつまでも心の底に残り続けていくだろうなあとは思っているわけです。

 

 

 

 ふとこの芸能「山城組」の合唱を思い出したので、その忘れられない体験を少し書いてみました。