虹の向こうに

ポプラの綿毛が春の終わりを告知する

 

弟よ やがてあなたの傍のその横に

真昼の月が薄っすら姿を見せる夏至が来る

 

あなたは走る 父も走る けれどわたしは走らない

夏の盛りの天上を走る二人を仰ぎ見て

目まいに悩み夏の暑さに眩み日陰を探す

わたしが歩く地の上は蝉の抜け殻がよく似合う

 

弟よ もう今ではその呼び名は相応しくなく

あなたはあなたの道を一人静かに走って去った

夏至から冬至に挟まれて真昼の月は痩せ細る

誰にも見えない半年が見えると言うのか

あなたには

月の予言のつぶやきも虻の羽音に邪魔される

アーチをつたう蔓バラが虹の彼方に延びていく

積乱雲のてっぺんが押しつぶされたまま天を横切り

父とあなたが二人並んで歩いているような

そんな虹の向こうの微かな虹をわたしは見た

春の影

親指と人差し指の2本で丸く

自分だけのレンズを造ってみる

 

そっと覗くと土星の輪が

銀粉金粉となってどこまでも漂っている

 

太陽系の彼方のある惑星に

水仙の花が咲き乱れているのが見える

 

氷の固まりとなって生命の無い

しんと静まりかえった星もあるようだ

 

星の芯まで透けて見えるような

美しい結晶体が音もなくポツンと存在している

 

ああ 地球もこのように

透視画を見るかのように

どこまでも透明であればよかったのに

 

親指と人差し指を離して

この眼で地上をそのまま見てみる

 

山桜の花びらが

冷たい風にあおられ

アスファルトの歩道の上を

瞬時にかけ抜け去り

春の影は彼方の山へと移動していった

赤岩の陽(ひ)

想いが体を離れ

赤岩の海へと向かう

 

落日と混じり合った

海の面のさざめき

 

化粧された岩肌

落下する小石の群れ

 

金色に染まった

大気の流れの揺らぎ

 

かもめが一羽

龍神様の祠へと向かっている

 

線香の香りは宙に散じ

銀河の彼方へと流れだす

 

鏡に映し出された浄土

秋の陽は今 海へ落ちた

秘密

あるとき私は 私の夢が生まれ出てくる

秘密の場所の夢を見た

 

そこからは 肉眼では決して見えない

鳥達が次から次へ

世界へと飛び立ち

人々の魂をそっとついばみ

また密やかに舞い戻ってくる

そこは そんな秘密の場所だった

ついばまれた世界の人々の魂の一部は

私の夢の原材料となり 私は居ながらに

世界の人々をモザイクし 知らずして

魂の調合者となってしまっていた

 

見えない鳥はけれどついばむのではなく

食い破ることもした 食い破られた魂は

見えない血を流し やがてそこから腐り

腐臭を放ち続ける そのことを知るのは

魂の調合者であるこの私のみだ

そして私は気が付いた 罰を受けたことを

 

見てはいけない秘密の場所を見てしまった

この私は 目覚めることを許されず

私の意識が立ち入れないこの不可知の場所

のその前で 魂のかけらを調合するという

神の如きの力を得ながらも

夢の意識の牢獄で 永遠に夢見ることだけ

を強制され続けている 一人の囚人である

ことに

この坂を上がれば(完)

歳が明け

お正月も過ぎ

ようやく平衡を取り戻した僕に

君からの電話が入った

 

とても緊張した声で

あの喫茶店で会って欲しいと言う

 

僕はバスに乗り

心臓の鼓動が聞こえる程の

不安をかかえて

君の待つ店へと入った

 

君の白い顔は青白く

薄い茶色の瞳には

切迫した影が浮かび

両手を固く握りしめて

僕が来るのを待っていた

 

君のお父さんが

海上ではなく陸上で

事故に巻き込まれ

重体となって

外国の病院で入院していると

君は簡潔に僕に話をした

 

もし父が亡くなったら

私たちあの家を処分して

母の実家のある

Y市へと移らなければ

ならなくなる

とも君は言った

 

僕は愕然として

君の話を聞いていた

 

君のお父さんの様子を知ろうにも

遠く離れた外国ならば

どう仕様もないではないか

僕にできることなど

何一つとしてある訳がない

 

君は僕に話したことで

少し緊張が解けたのか

うっすらと涙ぐんで

私どうしたらよいのかわからない

とつぶやいた

 

僕は声をかけられなかった

 

二人で長い沈黙の時を過ごし

二人で顔を見つめ

そして外へ出た

 

どうしたらよいのだろう

このまま帰してしまって

よいのだろうか

僕は一人自問し

答えを探しあぐねた

 

答えのないまま

僕は君と二人で

バスに乗り

君の家へと向かった

 

停留所で降り

君の家の建つ坂道へと

黙りこくって

並んで歩き続けた

 

一月の日没は早い

五時を過ぎると真っ暗になる

 

僕は何と言っていいのか

探しあぐねている言葉を

見つけられないまま

君の両手を取って

さよならを言おうとした

 

僕を見つめた君は

何か言おうとして

唇を動かし

そして突然

君は顔を寄せ

僕の唇に君の唇を

そっと乗せて

ほんの少しの間

そのままにして

そして離れた

 

君はさよならを言わず

無言のまま

短い坂を上がっていった

 

雪が両側に積もった

固く踏みしめられた

玄関の灯りの届く

その坂道を

君は僕に

その後ろ姿を見せたまま

一度も振り返らずに

ゆっくりゆっくり上がっていった

 

君はとうとう家に入った

 

僕は一人になった

 

僕は君が今

上がって行った坂を見つめ

しばらく立ちすくみ

そして

坂に背を向け

近くのバス停へと

一人歩いて行った

 

バスはけれどなかなか来なかった

 

       完

この坂を上がれば(9)

             14

 

十二月の中頃に予定されている

今年最後の展覧会へ向かって

美術部全員が人物画に

取り組むことが決まった

 

女子のモデルは

僕が紹介した

 

僕のクラスにはどういう訳か

よその男子が見にくるほどの

美人が二人もいて

僕はその二人に

モデルを頼み

彼女らは承知してくれた

 

今まで遠慮しながら

二人の顔を見ていたのだが

モデルとなったからには

穴があくほど

見つめることができる

僕だけではなく

部長のOさんも喜んでくれ

美術部男子の意気は上がった

 

予想もしなかったことが起きた

 

全ては僕の浅はかさが原因だった

 

僕は同じ美術部の仲間である

女子部員の存在を完全に

無視していたからだ

 

誰が誰を描こうが

基本自由なのだが

しかし

彼女らの存在を忘れたかのような

そういう無神経さが

女子部員を

怒らせてしまったのだった

 

女子部員全員がある日から

突然誰も来なくなった

 

愚かな僕には最初

その原因がまったくわからなかった

 

そして

モデルを頼んでいた

二人の美人が辞めたい

と言ってきたときに

僕はようやく自分の

立場を知ることになった

 

結局僕は

クラスの二人の美人を傷つけ

女子部員全員の誇りを

傷つけてしまったのだ

 

中途半端になった

人物画は打ち切られ

展覧会への出品は見送られた

 

傷つけられた女子部員の

二人は退部し

残りの女子は戻ってきてくれた

 

             15

 

予想もしなかった事件に

振り回され

気がつくと冬休みになっていた

 

君とはあれ以来

一度も外では会っていなかった

 

この美術部の一件は

生徒同士の噂が大きくなり

顧問の先生の耳にも入り

部長のOさんは

責任を取って

辞めざるを得なくなってしまった

 

全てこの僕が悪いのだ

 

大好きな部長だったのに

今まで誰もできなかった

美術部の合宿を実現させた

独創的な部長だったのに

 

僕は落ち込んだ

 

そのまま冬休みに入った僕に

明るい日差しは

差し込んでくれなかった

この坂を上がれば(8)

                12

 

僕らはコーヒーを飲み

窓から街行く人々を眺め

つい先日の文化祭の

興奮と結果について

熱心に話し合った

 

きっと誰もが僕らを見て

仲の良いカップルだと

そう思ったのに違いない

事実それは

嘘ではなかったのだから

 

茶店を出た僕らは

いつの間にか

運河を目指して歩いていた

 

陽は差してはいたけれど

十一月の屋外の風は冷たく

けれど

いつものように何人もの

人達が防寒着にくるまって

あちらこちらで

写生をしていた

 

どぶ臭い運河ではあるけれど

この運河は

小樽の誇れる財産なのだ

 

見ると先輩のNさんがいた

 

彼はペインティングナイフの

使い方がとても上手で

絵筆よりも

ナイフで描いていく

そういうタイプの人だった

 

きっと何度も描いたであろう

それら倉庫の一つ一つの

壁の色合い

歴史を刻み

どんなにか多くの人々に見つめられ

様々に描かれたであろう

その一つ一つの壁を

Nさんはナイフに絵の具を盛り上げ

削り取り 

また盛り上げ

少し手を休め

じっと倉庫と絵を見比べ

またナイフを動かしていく

 

Nさんの呼吸に

いつの間にか同調していた僕は

ふと君の視線に気がついた

 

「やっぱり絵が好きなのね」

「うん そして詩もね」

 

僕らはNさんに「また」

と言いながらそこを離れた

 

            13

 

初冬の太陽は

すでに山の向こうへと

早くも落ちて行き

あたりは急激に

薄暗く寒くなった

 

君が両手を口に持っていき

息を吹きかけ出したので

僕は思わず

君の左手を握りしめ

そのままじっと立ち止まった

 

君の左手はほんの少し冷たく

でも一瞬の後には

柔らかく暖かい

そのぬくもりが

僕の身体全体を貫き流れた

 

僕らはいかにも

恋人同士のように

手を握り合いながら

そのまま

街中へと歩き出した

 

言葉はいらない

今こうして

君の手のそのぬくもりが

僕を離れてはいないのだから

 

街中を過ぎ

僕らはバスに乗らず

手をつなぎながら

君の家へと歩くことにした

 

君の家はここから

少しだけ遠かったけれど

バスに乗って別れるのには

少しだけ近すぎた

 

君の家には門限があるという

事情を聞いて僕は納得した

 

君のお父さんは

外国航路の船長で

一度航海に出ると

三カ月、長い時には半年も

そのまま

帰ってこないという

 

その間

君はお母さんとたった二人で

あの広い大きな家に

暮らさなければならない

だから

門限は当然必要なのだ

二人のために

 

七時の門限には

まだ充分な時間がある

 

僕らは手をつなぎながら

ぽつりぽつりと話し合いながら

君の家へと至る

短い坂のふもとへと帰り着いた

 

この坂を上がれば

君は君を優しくいたわってくれる

安らかなお母さんとの

二人の世界に包まれるのだ

 

僕はすでに玄関灯の灯る

その大きな家を見つめ

君の手を強く握りしめた

 

「さよなら またね」

君は心のこもった

別れの挨拶をして

僕の手をそっと払い

坂の上の家へと帰って行った