その時には分からなくても

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Art Farmer.

 

 

 

 

 LPレコードが高かったので、せいぜい月に一枚か二枚位しか買えなかったとき、レコード店で視聴させてくれるようなシステムもなかったので、レコードを買おうとするときには結局ジャズ喫茶で聞いたレコードが一番頼りになったのですが、あとは雑誌のレコード批評を参考にして買うことが多くなり、そうするとどうしても当たり外れがでることになるのですが、一番極端だったのがアート・ファーマーの「アート(ART)」を買ったときのことでした。

 

 批評家のその好意あふれる批評にすっかり惚れ込んだ私は、その当時のトランペット奏者は私にとっては何といってもマイルスであって、それ以外の人はあまり視界に入っておらず、アート・ファーマーという演奏者もあまり知らなかったこともあり、どういう音色のどういう演奏スタイルなのか、期待する心に満ち溢れてレコードに針を落としたのですが、最初の数小節ですっかりその期待は裏切られ、何だこれはひどい、騙されたと愕然とし、そうかといってもう買ってきてしまった以上返すわけにもいかず、高いLPレコード代のこともあり、腹も立つし、がっくりもきて、このレコードを誉めちぎっていた批評家を心底恨んだものでした。

 

 

 このアルバム「ART」はそれから一度も聞くこともなく、そうですね、約5,6年はお蔵入りしていたと思います。

 

 

 月日が経つうちに私の好みも幅がひろがり、トランペット奏者はマイルス以外にもすてきな人がたくさんいることも分かり、アート・ファーマーのようなどちらかと言えば音色重視の傾向の方に徐々に比重が傾いていったこともあって、長い間お蔵入りしていた例の「ART」を聞いてみようと思い立ち、期待と不安の入り交じった心を抱きながら針をそのレコードに落としたのでした。

 

 するとなんと、5,6年前には騙されたという激しいマイナスの感情しか湧き上がってこなかったそのアルバムに、一気に引き入れられていってしまっている自分がいるのでした。

 

 トランペットなのに肌に突き刺さるようなざらざらした音色は一切なく、ほとんどフリューゲルホーンのような幅のある、肉厚の触感さえ感じさせてくれる柔らかな暖かな音色が全編を蔽い、そうかといって単にBGMで流れてくるような甘さ一辺倒でもなく、確かに骨格があり、筋が通り、これが私の音楽なのだと明瞭に主張してくるエゴも感じられ、特にアップテンポの曲での小気味のよいフレージングには、体が乗せられてどこかへと運ばれていくようなドライブ感もあり、全曲すべて退屈することは一切なく、あっという間に「ART」は終わってしまったのでした。

 

 なんということでしょう!

 

 

 あのときの批評家の批評は嘘ではなかったのです。

 

 それは誰のせいでもなく、この私が変わったことによる変化なのでした。

 

 「ART」それ自身は私と共に5,6年の歳月を過ごしながら、その間少しも変わることはなかった筈なのに、それを聞く私の心、その音楽を受け入れる私の心がすっかり変わってしまっていたのでした。

 

 文字通り「ART」は私の中で「ART」に変貌し、それ以降今日までこのアルバムは私にとっての愛聴盤となっていつまでも、もっともレコードからCDへの変換はありましたが、手元にあってアート・ファーマーの音楽を奏でてくれているのですね。

 

 

 音楽の好みの変遷は確かに色々とありましたが、一枚のレコードに対するその印象がこんなににも劇的に変わったのはこの「ART」以外にはなく、そういう意味ではこのアルバムは私にとっての特別な一枚となって今に至っています。