起承転結の無い音楽

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Chet Baker.

 

 

 

 

 

  バンドを止めてからも唯一といってよい親交があった友達に出会ったのは、昨日も書いたあの例の太鼓の人がいたバンドでした。

 

 ここには比較的長くいた筈で、そのときのバンマスはテナーサックスのKという方なのですが、あの頃のテナーの人は皆コルトレーンの影響を受けていたと言っても言い過ぎにはならなかった時代なので、実際このバンマスのアドリブもやはりコルトレーンの影響が誰の耳にも明らかな、またそれが当たり前というか、どんな人にでも必ず影響されたその面影があるのが普通ですし、まずは自分が目標としているプレーヤーへ近づくことが第一目標であってみれば、そっくりさんと言われるほどの腕前に成れば成るほど目標に近づいていることになるのですから、ですので、そっくりさんという名称はバンドマンにとっては一つの勲章にもなるのであれば、そういう意味ではバンマスのKさんは、ススキノでも有数のテナーの一人だったと思います。

 

 リズムがなってない、という手厳しい指摘を受けてそれなりに注意しながらバックの演奏をしていき、凄くよくなったと誉められ、ようやくリズム隊の一員として認められてから間もなくアルトサックスの新しい奏者が入ってきたのですが、彼はその頃のバンドマンには珍しく自分の演奏を常にテープに取り、後から聞き直してこれからの自分の演奏をより良くするための努力を惜しまない、そういう人だったのでした。

 

 私なんかは自分の演奏をテープに取って後から聞き直すなんて、とても恥ずかしくてそんなことをしようなどとは全然思わなかったのですが、そういう熱心に自分の演奏を聞き直して少しでもより良い演奏を目指し続けているそのアルトの彼に私は感心もし、何かフイーリングも合ってすぐ彼と仲良くなることができたのでした。

 

 

 当時は今でいうフユージョン、あの頃はクロスオーバーと言ってましたが、それらの音楽が4ビートのジャズを上回っていて、私もそれなりに聴き込んではいました。

 

 マイルスが「サイレントウエイ」というそれまでとは全く様相の異なる、4ビートから離れた8ビートの世界へ入ったことを告げる記念碑的な作品を発表したとき、批評家の間では賛否渦巻く声がゴウゴウと上がり、私もまずは買ってみようとそのレコードを購入して聞いてみたのですが、最初の音からして何かつかみどころのないもやーとした感じがあり、それがいつまでも晴れることなく、これといった起承転結のはっきりした動きのないまま終わってしまう、という印象だったように思います。

 

 今まで聞きなれた、主題があり、その展開があり、途中にはっきりとしたサビの部分、聞かせどころがあり、その余韻を保ったまま、また主題へと戻るという、聞きなれた起承転結のある曲の構成を全く離れた、そのサイレントウエイという曲名に相応しい演奏にはこれといった劇的な起伏は何も起こらないまま、最初から最後までもや~とした印象を保ったまま終わってしまうので、どう言ったらよいのか、何を言いたいのか、何をやりたいのかがこちらに伝わらずに終わってしまったという感覚だけが残り、何とも不思議な、ある意味物足りない、これでいいのかという終わり方をした曲なのでした。

 

 それからのマイルスは「ビッチーズブリュー」という2枚組のアルバムを出し、完全に4ビートから離れていって二度と戻って来なかったのですが、私自身はここまでは付いていけてもそれ以降のマイルスのアドリブには残念ながら魅力を感じていませんね。

 

 

 

 クロスオーバーが盛んになったのと同時期なのかどうか、今いちわからないのですが、シンセサイザーミュージックの一つとして「喜太郎」なんかのこれまた茫洋とした音楽もそれなりに耳にすることが多くなり、私自身はそのシンセサイザーの音色とそれらが構成する音楽を余り抵抗なく聞いていたのですが、ある日の控室の事、バンドに入ってそんなに日が経っていないアルトの彼が、いつも控室でイヤホンを使って何かの音楽を聞いているのが気になったのでしょう、バンマスが彼に何を聞いているのだと訊ね、そして彼がイヤホンを外してその曲をみんなの前で披露したことがあって、その曲が喜太郎のあの茫洋としたシンセサイザーだったのですね。

 

 すぐにバンマスが俺はこういう起承転結のない音楽は音楽だと思ってない。嫌いだ。と彼に向かって言い放ち、控室を出て行ってしまった事がありました。

 

 

 確かに喜太郎の作る曲は言い方は悪いのですが、どれもこれも似たような確かに起承転結の無いというか、感じられない曲ばかりという印象は免れないところなのですが、私は嫌いということなく、それなりに疲れたときのリラックス剤の一つとして聞けばよいのではと思っていたので、そのときのバンマスの明らかに怒った言い方はちょっとした驚きで、それはそれで一つの正直な反応なのですから仕方ないとしても、アルトの彼には少し酷だったのじゃないかと彼に同情したのでした。

 

 

 新しい形式を受け入れるのには人それぞれの反応と反感、賛同が必ずあるのでしょう。

 

 起承転結の無いと思われる、或いはそうとしか感じられない音楽はその先どうなっていくのでしょうか。