東京に住んでみて

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Tom Waits.

 

 

 

 

 

 

 東京に来て最初の1年は、新宿の東榎町にある一軒家の2階の部屋に間借りした。当時近くに住んでいた親戚の兄さんからの紹介だったと思う。

 

 とても人当たりの良い感じの良い大家さんだったのだけれど、こちらが迷惑をかけてしまって二回目の更新ができなかったのは、今思っても残念なことだった。

 

 この東榎町の家から毎日夕方と夜中の2回、飯田橋駅まで歩いて行き、歩いて帰った。

 

 まだ若かったので歩くことに関しては別にどうということはなかったけれど、そして実際地下鉄を利用できるだけのお金もなかったので、歩くより外には飯田橋駅まで行く手段がなかったのは事実だった。

 

 

 その頃の飯田橋のすぐ近くにいわゆる名画座があって、そこには何度か映画を観にいった想い出があって、高倉健網走番外地シリーズのオールナイトなんかにも行ったことがある。

 

 また飯田橋のたもとでトランペットやサックスの練習をしている人もいて、私も何度か足を運んで練習したことがあるが、長続きはしなかった。

 

 食事はどうしていただろうか。・・・自炊なんかはしていなかったけれど、即席めんを食べるくらいの準備はしていただろうと思う。

 その辺に定食屋なんかは無かったはずなので、仕事先の近くの店で食べたのだろうか。今となってはまるで手掛かりがないまま、亡羊として過去の闇に溶け込んだままなのだが・・。

 

 

 神楽坂は結構きつい坂で、仕事でいつもより疲れているときには地下鉄を利用したいと思ったこともある筈だけれど、多分その余裕はなかっただろうと思う。

家賃を払って定期代を払えば、あとはぎりぎりの食費だけとなっていただろうし、でも、たまには安い映画にも行ったのだから、そこは何とかやりくりしたのに違いないのだけれど・・。

 

 東榎町に近いところに交番があった。

 

 毎日その前を通って歩いていたのにも関わらず、一度だけ職務質問を受けたことがある。

 

 毎日 楽器ケースを持って歩いていたのだが、その交番の前で声を掛けられて立ち止まり、そのケースを開けてくれませんかと言われて、別に怪しいものは入ってないので、そのまま素直に開けたのだが、トランペットを見て納得したらしい。

 それまで毎日交番の前を通って深夜に帰っていたのに、声を掛けられたことなんて一度もなかったのだから、その日はきっとなにかの事件があって、ケースの中身を確かめる必要があったのだと思う。

 

 思うけれど、しかし警察に声を掛けられるなんて、あまり気色のいいものでないことは確かであって、別に何ともなくとも抵抗があつたことは事実である。

 

 

 残念ながらこの間借り生活は1年間しか続かなかったのだが、次には大井町線にある緑が丘というところに間借りしていた中学時代の親友を尋ねて行って、そこの家の空いている部屋を間借りすることができ、結局そこには足掛け4年間暮らしたのだった。

 

 その駅の近くに小さな中華料理店があって、昼にはよくそこで野菜定食とレバニラ定食を食べたのを覚えているし、野菜なんてそこでしか食べたことがなかったような気がする。

 

 

 バンド生活にも段々馴れてきて、トップの人から演奏中足を蹴られるなんていうことは無くなったけれど、その代わりというか、自分のトランペットへの限界も見えるようになってきて、この先どう生きていけばよいのか、どう生きていきたいのか、そんな切実な悩みにも直面せざるを得なくなってきてしまったのが、東京に出て来てからの3,4年目だったのじゃなかろうか。