エルビン・ジョーンズと握手する

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Mick Jagger.

 

 

 

 

 

 

 こうして毎日のように書いていて、ふと全然関係のないプロ野球のニュースを見ている時に突然想い出したことがあります。

 

 今から半世紀以上の前のことになりますが、コルトレーンが来日演奏したことがあって、多分昭和40年(1965年)前後の頃だと思われますが、たまたま京都で彼の演奏を聞くことができました。

 

 昔ならば生演奏、今ならライブと言うのか、とにかくコルトレーンともう一人のテナー奏者(フォーラオ・サンダースだったか?はっきりわかりませんが)との珍しい二管編成で、ピアノはマッコイ・タイナーではなく、コルトレーンの奥さんのアリス・コルトレーンで、ドラムはエルビン・ジョーンズでした。

 

 

 当時すでにコルトレーンは神様みたいな特別な存在でしたので、ジャズに熱中していた私にとっては高価なチケット代だったと思うのですが、親からの仕送りのお金で無理やりに購入したのだと思います。

 

 京都の大きなコンサート会場一杯の人で埋まったその演奏は、今はもうどうだったのか、まるで雲をつかむかのような儚い手応えのないものなのですが、レコードで聞いていたよりはるかに長時間の即興演奏が続いていたことだけは確かで、きっと演奏が終わったあとも夢見心地でいたのではなかったでしょうか。

 

 

 

 

 東京に出て来て、そんなに時間が経ってない頃だと思います。

 

 ピットインが今の場所に移るその直前だったのじゃないかなあ、どこかのビルの2階に以前のピットインがあって、そこは狭いコンクリートの壁がむき出しになっていたような(でも、これは後からの私の創作なのかも知れませんが)部屋で、たまたま私が訪れたその日に、日野さんが演奏していたんですね。

 

 こちらはろくに音もでないようなラッパなのに、日野さんは細身のかっこよい姿で、あの独特な両頬を丸く風船ガムのように膨らませる奏法のまま体をしのらせて、ばりばり吹いているのを見て私は衝撃を受けました。

 

 自分とそんなに歳の違わない才能あふれるトランペッターは、私を刺激し勇気づけるよりも、ジャズ演奏というものの困難さを私の前に明らかに示したかのように思います。

 

 

 ピットインが移転して1年か、2年後の大晦日の日に、今でいう新年を迎えるためのカウントダウンがあって、誰もいない正月の寂しさを忘れるためにも参加したことがあります。

 トリオやカルテットの生演奏があって、いよいよ年が明けるまじかになって突然エルビン・ジョーンズが姿を現したのです。いや、その前に演奏に参加していたのかも知れませんが、その辺はもう曖昧です。

 

 とにかくエルビンが新年を迎えるためのカウントダウンをすることになりました。ドラムスで10、9、8,7・・・とみんなで声を合わせて数えていったのだと思います。

 

 どどーと数えていって盛大に新年を迎えることができました。

 

 その後、すぐだったか時間を置いてだったか、エルビンが皆と握手してくれるのを見て、私も思い切って右手を差し出すと、大きな太い暖かな両手で私を握り返してくれたのでした。

 

 感激しました。

 

 アルコールも入っていたのでそういう行動に出られたのだと思いますが、今こうしてその時のおぼろげな有り様を思い出してみると、懐かしさと嬉しさとが同時に湧き起ってきます。

 

 昭和時代の良き、素晴らしき想い出の一つですね。

 

 

 

 

 ウッドベースの魅力に目覚めたのは、やはりレコードではなく生の演奏からでした。

 

 目の前で人の体より大きなウッドベースの弦を指で弾いて出す、その音の魅力は小さなプレイヤーでは絶対に味わえないものですし、いったんその魅力に目覚めるとジャズ喫茶で響いてくる音の塊の中のベースの音に、ソロはもちろん、そうでないときでもベースの音を意識して追いかけることも出来るようになってくるわけです。

 

 

 あんなに太い金属の弦をよく人の指で押さえ、弾いていけるものだと、すぐ目の前のベース奏者を見ながら感心していたことも思い出されて、今もやはりウッドベースのソロは大好きです。