ジャズ喫茶は禁欲的

f:id:sekaunto:20190405094551j:plain

Keith Jarret and Jack DeJohnette and Gary Peacock

 

 

 

 

 

 小樽に帰ってきて雑誌の広告蘭でジャズ喫茶を見つけて、そんなに熱心にではなかったけれど気分転換に通いました。

 

 ここは東京でのジャズ喫茶と違ってアットホームな雰囲気で、おしゃべりも自由だったように思います。

 

 

 そうなんです。当時の東京のジャズ喫茶はほとんどが今から思うと禁欲的な雰囲気でしたね。

 

 ただひたすらジャズを聞くためだけにそこに集まっている、というか外からみると何人かの人が確かに一室に一緒にいるのですが、実態は一人一人の小宇宙からなる自己完結型の孤立した集合だったように思われるのです。

 

 何といってもレコード(LP盤)は高かった。

 

 自分の部屋にはあの頃「プレイヤー」と呼んでいた小さなスピーカー付きのLP盤と同程度の大きさの再生機があったのですが、なんといってもLPが高価だったので、家賃を払って、定期代と食費でかつかつの生活では、どんなに欲しくともLPレコードはめったに買えないので、そういうジャズフアンのための喫茶店が結構あちこちにあったわけです。

 

 

 高価なアンプ、スピーカーから流れる大音量の部屋で大好きなジャズに浸れるその快感は、小さな「プレイヤー」から流れてくる音では決して味わえない至福のひと時であって、そのためのお茶代はなんとか工面して月に数回通ったものです。

 

 

 ジャズ専門誌の広告を頼りに何件かの店を巡り歩いたのですが、特に新宿のあるビルの地階にあったジャズ喫茶のイメージが、私にとっての代表的な店のシンボルになっていますね。

 

 昼間の少し路地に入ったビルの地階を下りる階段、そして音の漏れないようにと厚く頑丈にされているドアを開けると、強烈な音量の塊と体を揺り動かして止まないビートに乗って、トランペットやサックスのアドリブが飛び込んできます。

 

 この一瞬の非日常的な転換の場面こそが、実は今思うと自分にとっての最大の魅力だったのかも知れません。

 

 そのためにお金を払ってお店に通っていたのかも知れません。

 

 

 ただジャズを聞くためだけにそこへ行くのですから、たとえ恋人通しであっても、親友同士であっても、基本的には会話は必要ないのですから、まあ、この曲は何というのとか、演奏者は誰なのというくらいの会話はあって当然だとしても、その内容とか自分はこう感じるとかの感想はその場では必要なく、ただだまって黙々として音楽を受け入れていれば良いわけで、普通の喫茶店のようには団らんはいらないことになります。

 

 

 そういう基本的なことは言わなくとも客同士でわかっている筈なんですが、お店によっては壁に「私語禁止」とか「お静かに願います」とか書いてある店もあって、こちらとしては余計なことだと思うのですが、初めて行った場合はやはり少し違和感がありました。

 

 

 今はこのようにネットからも大量の音楽を選択できる時代になっていますから、このようなジャズ喫茶店が生き残れるはずもなく、私がいたあの時代こそがジャズ喫茶店の最盛期だったのじゃないかなと思いますね。

 

 

 有り余る資産があれば、道楽にジャズ喫茶店を開くのも贅沢でいいなあと、時々妄想することがあります。