想い出のピアニスト(1)

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Louis Armstrong and Duke Elington.

 

 

 

 

 

 

 

  東京には約5年間いた。

 

 あちこちの店を移っているので、もう顔も(勿論名前なんか全然)思い出せない人ばかりなのだが(写真もないし)、なんとかセカンドのトランペッターとしてそれなりに仕事出来るようになったころのことだと思う、今こうして思い出せる二人のピアニストがいる。

 

 

 そのとき私は20代の前半で、そのピアノの人は中年(若い者から見ると何でも年がいっているように見える)で奥さん、子供さんもいて、最初は臨時のアルバイトとしてバンドに入ってきた人だった。

 音楽の先生だったのかな・・。

 

 きっとピアノはどこかの音大を出ているのだろうが、こういうバンドは初めてだし、譜面をみて弾くのはきっと何でもないことだった筈なのに、いざステージにあがって生のダンスミュージック中心の軽音楽を弾いてみると、意外に難しいというか、これまでの知識、技術だけではすぐに通用しない世界だということが身に染みてわかってきて、きっと少し悩んでいたのだと思う。

 

 

 私とアルトサックスの同年代の彼ともう一人いただろうか、とにかく若手のメンバーを自分の家に招待してくれたことがあった。

 

 家にはもちろんアップライトのピアノがあり、清潔な明るい家だった印象がある。

 

 ジャズが根っこにあるポップスを演奏するときは、基本、オンビートではなくアフタービートになる。それはレコードを聞いていると自然に身についてくるというか、その感覚が当たり前になってくるのだが、クラシック中心に弾いてきたその人にとっては、その感覚がわからないというか、リズムに乗れないというか、どうも今いち全体の中に溶け込んでこないような弾き方なので、それを気にしていたのだろうと思う。

 

 それと問題はもう一つあった。

 

 アドリブである。

 

 これは私自身も悩んでいたので、その人の悩みはよくわかった。

 

 

 なにせ、おたまじゃくしは何もなく、ただコードネームだけが書かれてある小節をたとえば8小節とか16小節弾かなければならない立場にいるのがピアノだからである。

 

 

 半世紀も前のバンドで今のようなジャズ理論などあるはずもなく、ただレコードをコピーできるような耳の良い人ならばそのようなコピーで、そこまで出来ない人はただひたすらレコードを聞いて真似をするのがアドリブの練習方法だったので、先輩に聞いても体系だった教えなどはなく、簡単なコードの読み方ぐらいしか教えてもらえず、というより本人もわからなかったのだと思うけれど、まあ、暗中模索というか手探り状態でアドリブなるものを演奏していた時だったのだと思う。

 

 

 

 

 それでもステージの上ではそれなりのアドリブを演奏していたのだから、みんな大した者だったんじゃないかなあと振り返ってそう感心してしまうのは、過去に対する郷愁なのだろうか。

 

 とにかく自分自身がそういう暗中模索状態だったので、そのピアノの人から、どうやってアドリブするのかと聞かれても、多分納得できるような返事はできなかったと思う。

 

 

 そのアルバイトで雇われたピアノの人はどうやらバンドの魅力に目覚めたらしく、アルバイトではなく、バンドマンとしてやりたいと言い出したように記憶する。

 学校の音楽の先生の職を投げ打って新しく未知の世界へと足を踏み入れようとする、その心意気は自分自身がそのような心でこの世界に飛び込んだので、よくわかり共感したので、きっとそのときは賛成したのじゃないかな・・。

 

 でもその人の奥さんはどうだったのだろうか。

 

 今は全然奥さんの顔が浮かんでこないのだが、安定した職について子供もいて、きっとローンの支払いもあって(そのときはそんな発想まるでなかったのだけれど)、そうなればそう簡単に転職をオーケーしたとは思えない。

 

 2回か3回、そのピアノの人の家に行ったような気がする。

 

 

 そのうち、私自身がまたもやギャラアップを求めて他の店に移っていったので、そのピアノの人がどうなったのかは知らない。

 

 

 

 

 そんな別れと出会いがいくつもある生活だった。