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 「彼岸荒れ」の言葉通りに今日の午前中、一時強く吹雪いた。

 

せっかくほとんどの道路の雪が融けて、喜んでいたのもつかの間、あっという間に元の冬景色に逆戻り。

 

 しかし、こうやって行きつ戻りつしながら季節は確実に春へと移り変わっていっているのだ。

 

 

 

 

昨日書いた「立ちんぼう」のところの、ギャラの調整弁ということに関してもう一言。

 

 バンドにはそのバンドのバンドマスター(普通バンマスと言う)がいて、つまり彼がお店と契約する主体者としての主人というか、オーナーというか、絶対的権限者であって、このバンマスの意思がバンドの意思となるわけです。

 

 私自身は一度もバンマスとしてお店と契約したことはないので、あくまでも伝聞としての話なんですが、たぶん実態は以下のようであろうと思われるのです。

 

 バンド全体の人数がお店と決まれば、その人数×一人分のギャラ=全体のギャラとなるのであって、実際のバンドのそれぞれに配分されるギャラはバンマスの意向しだいだということですね。

 

 たとえばリズム隊(ピアノ、ベース、ドラム)の3人、トランペット2人、サックス2人、トロンボーン1人の計8人だとします。

 バンドの中心になるのはファーストトランペットとファーストサックスの二人であって、この二人がほとんどの主要のメロディを吹き、リードします。セカンドはハーモニーを担当するので、よほどのミスさえなければ表面的には目立ちません。

 

 要はこの二人に高いギャラを払って上手い人を連れてくれば、もうほとんどそのバンドの骨組みは完了するわけです。

 

 だから、もしバンマス自身がこの骨組み事態を荷う一人だとしたら、こんなにいい話はないですね。音楽面でも経営面でも絶対的な権限者、いわば独裁的な位置を占めることになるわけですが、少なくともトランペッターとしてもリーダーである、というバンマスには私は出会ったことがありませんでした。(・・一人だけいました・・)

 

 サックスにはアルトとテナーの二人というのが多かったですね。そしてサックスのバンマスという人の割合が多かったのは事実です。なぜなのかはわかりません。

 

 リズム隊の3人の内、ピアノはまた少し特殊な位置にいます。ソロも結構ありますし、もし、ピアノがバンマスだったら音楽理論的には適任なのかも知れませんが、なぜかピアノでバンマスという人は、人数の少ないトリオとか4,5人のコンボ編成だったら割といても、7,8人、それ以上のフルバンドにはほとんどいなかったように記憶しています。やはり管楽器の方が表舞台で目立つということが関係しているのかも知れません。

 

 

 

ということで責任の重い、重要な人のギャラは高く、それなりの人にはそれなりのギャラを、またほとんど目立たない人には目立たないギャラをという、需要と供給のバランスが働いてギャラが決まってくる訳で、そういう意味では正真正銘の実力社会でもあるのでしょう。

 

 

 

またバンド社会には全く福利厚生、社会保障は一切ありません。月々もらう現金(箱に入っている場合のことを言ってます)そのものだけが全てであって、収入を上げるにはよりギャラの高いバンドへと移り、実力を高めるしか道はなく、それができなければいつまでもそのままのギャラが続いていくだけの話です。

 

 

 

 

 

 

 で、「立ちんぼう」という泣かせる立場は、いわばギャラを調整するための便利な位置でもあることになります。極端に安いギャラでも、少なくとも毎日ステージに立って、生の演奏をする側に立って音楽に触れているわけですから、これはその立場の人間にとってはかけがえのない体験をさせてもらっていることになっていることは事実であって、ぎりぎりの生活であっても、それはそれで良いということになるでしょうし、その浮いた分をより重要なメンバーに振り分ければ、それはそれで良いという八方丸く収まる結論になって、バンマスとしては万々歳ではなかったでしょうか。

 それも、今から見るとそういうことが許される余裕があった、ということなんでしょう。

 

 半世紀も前のその時代にはまだまだ社会全体に余裕があった、のだと思いますね。