想い出のピアニスト(2)

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Miles Davis.

 

 

 

 

 

 ほんとに記憶力の悪いということは困ったものだ。

 

 こうしてバンド時代のことを書こうと思って、実際に書き出してみても、さっぱりその当時の一緒に働いていた仲間、バンドの皆なの顔が浮かんでこない。

 

 切れ切れの断片としての不鮮明な記憶ばかりがちらつくばかりで、線としての歴史上の繋がりが浮かび上がってこないのだ。

 

 

 

 

 前回は学校の先生という職業を捨てて全く新しいバンドの世界へ飛び出そうとしたピアニストのことを書いたが、今日は自分の青春の淡い想いと共に浮かび上がってくる女性のことを書いていきたい。

 

 

 

 

 当時、私は緑ヶ丘の一軒家に間借りしていて、多分池袋から渋谷まで山手線を利用し、渋谷から私鉄へと乗り換えていた。

 

 私とベースの彼と彼女の三人でいつも一緒の電車に乗り、そしてベースの彼と彼女は新宿で別の線に乗り換えて別れるのが、変わることのないパターンだった。

 

 彼女もクラシックは学んできても、ジャズや軽音楽には馴染んでこなかったのだろう、やはりリズムの乗りが悪く、彼女もやはりギャラをもらっている以上、それなりのプレーをしなければならないと気持ちは焦っていただろうと思うのだが、そういう事情を承知の上でバンマスが連れてきた以上、こちらもできるだけ教えてあげられることは教えてあげて、一緒に仲良く演奏できるようにと、すぐにまた辞められても困るので、同年代のベースの彼と練習なんかもしたのかも知れない。

 

 その辺のことは思い出せないのだが、うまく弾けないという焦る気持ちは、楽器が違っても私も全くおなじなのでよくわかったのだ。

 

 

 彼女は美人というには遠かったけれど、ふっくら系の優しい顔をしていて、なんとなく親しみを感じさせるタイプの女性だった。

 

 毎日毎日といってよいほど変わることなく三人で一緒に電車に乗って帰るので、いつしか仲良し三人組になっていて、私もなんとなく彼女に好意を抱くようになっていった。

 

 それはきっとベースの彼も同じだったのに違いない。

 

 20代前半の若者がおなじバンドでプレーし、そしてほとんど毎日一緒の電車に乗って帰るのだから、何かしらの感情が芽生えても当たり前だと思う。

 

 

 ただ彼女の性格には何の問題点はなかったのだが、唯一私が受け入れ難かったのは、彼女の足だった。

 

 彼女はいつもスカートを履いていたのだが、そのスカートから出ている足の太さがとても気になって、私の気持ちはそこで立ち止まってしまっていた。

 

 その当時は私も長髪のいわゆる天然パーマで自分なりの女性像なんか本当はなかったくせに、へんに足の太さに気を取られて彼女の魅力の方を押しのけてしまうような、そんな気持ちから離れることができなかったのは残念なことだった。

 

 やがて私はいつものことながら、そのバンドを辞めて他へと移ったので、当然仲良し三人組も自然に解消となり、彼女の存在も遠くなっていった。

 

 

 

 あるとき、私は自分の乗った電車の窓から、彼女とベースの彼とが仲良く笑い合いながら向かい側の電車に乗るために歩いているのを見た。

 いかにも恋人通しだった。

 

 私は軽いショックを受けて二人を見つめ続けた。

 

 ベースの彼はいかにも幸せそうに彼女に寄り添い、彼女もまたいかにも幸せそうに彼を見ていた。

 

 

 私はその二人を見て、自分自身が彼女を好きになっていたことを、いまさらながら思い知らされた。

 

 

 足の太さを気にして、それ以上彼女の元へと踏み込んでいかなかった私の代わりに、ベースの彼はそんな見てくれよりは彼女の持って生まれた魅力をそのまま受け入れて、彼女の良き恋人となったのだ。

 

 そのベースの彼に嫉妬心を抱いて、しかし電車はその恋人であるカップルをホームに置いたまま、すぐまた次の目的地へと出発してしまい、私は自分の嫉妬心と寂しさの二つを抱えながら、二人を黙って見送るほかに何もできなかった。

 

 

 

 

 

 あの時ああすればよかった、あの時あんなことをしなければよかった、等々、そんな後悔と無念を数えあげたら切りがない人生だと思う。