ハイトーンが出ない

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Miles Davis.

 

 

 

 

 

 

 セカンドトランペットの譜面にもようやく馴れてきたころ、特に決定的だったのは、どうやってもハイトーンが出ない、というこの現実でした。

 

 もともとトランペットは我流で練習してきたので、楽器自体を買ってもらったのは高校2年生の夏頃だったと思います(マイルス・ディビスのラウンドミッドナイトを聞いたのが決定的でした。実はその前からジャズは少しずつ聞いてサックスをやりたいなあと思っていたのですが、この楽器は高価だったので、とても我が家の経済が許すところではなく、言い出しかねていたところにマイルスに出会って、それでトランペットを買って欲しいと無理やりお願いして、何とか買ってもらったのでした。楽器はチェコ製で当時1万5千円だったのを覚えています)。

 

 

 

 

 当時の高校には吹奏楽部もなく、一冊の教則品を見ながら、家の裏手の幸い少し崖になっているところでロングトーンの練習をし出したのですが、誰にも見てもらえることはできなかったので、いつの間にかマウスピースを固く唇に押し付けるようにして高い音をだすようになってしまい、それは結局最後まで直すことができないまま、決定的な壁となって立ちはだかってしまったのでした。

 

 

 知らない、という事は怖ろしいことですが、逆に言うと怖さ知らずに飛び込めるということでもある訳で、それでなければ私はバンドの世界に飛び込んで行けなかったと思います。

 

 

 

 セカンドの立場はハーモニーを付けていくこととアドリブの演奏です。

 

 当時の演奏したテープも何も残っていないので、どうやってアドリブをしていたのか、もうまるで見当がつきません。

 

 ハイトーンは出ない。ジャズ理論もほとんど知らない。ただレコードを聞いてそのアドリブに憧れてはいても、当然再現することは不可能なのですから、あのセカンドの頃の自分の演奏に出会ったらきっと愕然とするに違いない、という思いと、いやそれでも何とかプレーしていたその自分に対して、よくやっていたなあという思いの、その両法が浮かび上がってくるのではないかと思うのです。

 

 アドリブの小節には当然オタマジャクシは何もなく、ただコードネームが書いてあるだけなので、例えハイトーンが出なくとも、自分の出る音の範囲に納めればそれなりの形をつくることは出来るとしても、トップの奏者になるためにはそうは行きません。

 少なくとも上二線のCを楽々と、できればそのうえの上三線のEくらいまでを自由に操れなければトップの奏者としては失格です。何せトランペットのトップ奏者はそのバンドのメロディの中心と言っていいくらいの大事な責任ある立場なので、ハイトーンが出なければ絶対に務めることは出来ないことになります。

 

 

 私はそのハイトーンが出ないのです。

 

 高くなればなるほど唇を自由にしてマウスピースの中で素早く空気と唇を振動させなければ、ハイトーンは出ない理屈なのですが、仕事として音を出さなければならない以上、聞こえるか聞こえないかのボリュウムは許されず、その音量を出す為には唇にマウスピースを強く当てなければ出ないという袋小路に入ったまま、どうすることもできずに日が経って行ったのでした。

 

 

 

 自分にはトランペッターとしての才能がない、というより音楽の才能がないのじゃないかという自覚は、バンドマンとしての生活が続くにつれて段々つのってきて、悩みは深まるばかりでした。

 

 

 

 

 

 あるトップのトランペッターの人で、ハイトーンは出るけれど逆に低音が出なくなってしまった、という稀な人がいました。

 その人のマウスピースの位置は随分偏ったところに当たっていて、唇はそこの所が変形していたのですが、ハイトーンはびゅんびゅん出ていました。いわゆる電信柱と呼んでいる五線紙の上の上加線の音は自由自在で、こんな人は外にはいなかった記憶がありますが、やはりその人もハイトーンが出なくて悩み、結局自分流の練習方法によってその弱点を克服したとのことですが、その反動というか不自然な奏法によって、低音が出なくなってしまったのです。

 

 でも、まあ、低音は誰でも出ますから、出ない分は誰かが補うことができるし、何よりダンス音楽としての演奏には華やかなハイトーンは必ず必要とされる訳なので、トップ奏者となって活躍するためには、ハイトーンが出ない限り無理だということになります。

 

 

 一人で練習するときには軟プレスで細い高音が出ても、それはステージで使えない音でしかないので、相変わらず、いつまでもハイトーンを使うことができない状態から抜け出すことができないまま、悩むばかりの日数が経って行ったのでした。