水商売の人のための飲み屋さん

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John Hurt.

 

 

 

 

 

  昼間に働いていた人たちが仕事が終われば居酒屋やクラブ(昔だとキャバレー)やスナックに行って高いお金を使ってでも、仕事の疲れやストレスを発散させるように、その昼間の人達のストレスや愚痴やらを受け止めていた夜の仕事の人達、いわゆる水商売の人達の疲れやストレスを受け止める、最終的な水商売、飲み屋さんがまたあるということをススキノに来て初めて知りました。

 

 開店時間は大体夜の11時(23時)頃からで、閉店時間はもう本当の朝、というか子供が学校に行くころまで営業することも珍しくないのですから、まあ、客次第というか、文字通り昼夜逆転の生活が毎日のように続くわけで、いくらなんでもそんなに長期に渡って続けられるような仕事ではないなあと、人ごとながらそう思ったものでした。

 

 

 一度だけ、あのディスコで演奏していた時のギターのバンマスとアルトの人に連れられて行ったのだと思います。

 

 お店自体は普通の飲み屋さんでマスターとその奥さんの二人で営業していたのだと思いますが、私たちが行ったのはすでに真夜中の2時を過ぎているのにもかかわらず、まだまだ序の口というか、これからが本番という感じで、その日は結局朝の7時ころまで飲み、話しをしていたのじゃなかったかな。

 

 私はあまりお酒に強いタイプではなく、それでも飲みだして酔ってくるといやでも楽しくなってくるのですから、飲めなくなるまで大抵飲むのですが、その後は苦行が待っていて、よくトイレで吐いたり(たまには外でも)して、血の気の引いた青白い顔で仲間のところに戻るということはよくありました。

 

 まだ20代でしたから、嘔吐しても、いやしかしこの嘔吐というのは実に苦しいもので、そのときは心底からもう二度と飲まないと自分に誓うのですが、一晩寝てアルコールが抜けると、その苦しさの幻影が立ち上がってはきても、やっぱり仲間とワイワイおしゃべりがはずむのが楽しくて、きのうの自分への誓いなどどこへやら、またいつもと同じ調子で飲むことができるのでした。

 

 

 その水商売の人のための飲み屋には、バンドマンのみならず、自分のお店を閉めたあとの一日の疲れをとるために飲みにくる経営者、ホステスさん、ホストクラブのホストさん、あの頃は「トルコ風呂」といっていた今でいうソープランドの女の子、ゲイバーの子、等々ススキノの縮図とでもいえる様々な職種の人達が深夜すぎに、あるいは朝方に飲みにくるようで、その日の様子はもう思い出せないのですが、一応吐くこともなく朝まで飲み、食べたのではないかと思います。

 

 

 キャバレー勤めをしているときには、夕方家をでるわけですが、帰りはサラリーマンが飲んで帰る時間とほとんど同じなので、その後朝方まで飲まなければ、昼間に働いている人たちとなんら変わりのない生活ができることになるので、まあ、健康的とでも言えると思うのですが、ただ夕方に家を出て職場に向かうときのあの違和感のなかにはほんの少しの寂寥感も混じっていたように思われて、今振り返ると、やっぱり夜の仕事だったなあとも感じます。