小樽で仕事をしていたころ

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Esperanza Spalding.

 

 

 

 

 

 

 小樽に帰ったとき、両親は銭函という名前だけは大層な、実は小樽の外れにある小さな町の日本海を見渡せるS商事の寮の賄いをやっていたので、あの頃は余裕があったのでしょう、その寮の一室を私も借りることができ、そこにピアノを置いて昼間は練習、夕方ジーゼル列車に乗って小樽まで行き、そのままキャバレーでセカンドラッパとして仕事をし、夜は寝るためだけに借りた部屋で一夜を明かし、午前中には銭函へと戻り、食事とピアノの練習という日々を(前に2年近く過ごしたと書いたのですが、段々思い出し年齢を計算してみると、どうもそんなにはいなかったようなんです。1年位かも知れませんが、とにかくそうのようにして毎日を)過ごしました。

 

 

 前にも書いたようにこのお店はもともと映画館だったので、外観もそれらしいままでしたし、中の容積も大きくてなかなかの店だった、という印象はあるのですが、今はお店の名前をどうしても想い出すことができません。

 

 逆にもう一軒バンドの入っていた店の名前が「現代」といって、これは名前と外観がまるで一致しない、優雅な昔小樽が繁栄していたときに建てられたであろう、どこかのサロンという趣きの、キャバレーとは絶対におもえない、そのお店の名前の方は鮮明に記憶しているんですね、皮肉なものです。

 

 

 

 小樽にも一軒だけジャズ喫茶がありました。

 

 生活のパターンは大体上に書いた判で押したようなものだったのですが、たまにはそれを崩さないとストレスが貯まり続けます。

 

 多分このジャズ喫茶で知り合ったのでしょう。おもしろい彼氏がいて、年齢は私と同じくらい、仕事は何をしていたのか、していなかったのか、その頃の言葉でいうと常に「ラリッて」いたのです。

 

 当時は睡眠薬を薬局で割と簡単に買えたらしく、その彼氏は昼間から「すりく」を何錠か飲み、本来眠るための薬なのに眠らないで起きているのですから、体と心がふらふらの状態になるわけで、それがまた快感を呼ぶらしく、結局やめられなくなってしまうみたいなんです。

 

 まっ、薬物依存ですね(その頃はこういう言葉はなかったけれど)。

 

 

 バンドの人でも〇〇という睡眠薬や鎮痛剤をやっている人がゼロだったわけではありませんが、それは極々少数のことで、結局はアルコール中毒と同じように仕事ができなくなるのですから、そういう人はいつかしら消えていくものです。

 

 

 その見かけるたびにラリッている彼氏と仲良くなってしばらく経ったある日、彼氏から「ちょっと飲んでみろ」と睡眠薬を何錠か手渡されたことがあります。

 

 好奇心もあり、一度は体験してみたいと思ってもいたので、その「すりく」をもらい受け、すぐ飲んでみました。

 

 薬の種類によって効果が違うことは当たり前なんですが、彼氏が言うには最近手に入りづらくなっているよく効く「すりく」だということで、なるほど、確かに飲んでそれほどしないうちに、なにやら体が揺れて歩くたびにふらふらと「ラリッて」きたのは事実で、これは確かに気持ちのよいものだと納得できたのです。

 

 もちろん、睡眠薬による「らりる」体験はそれ一度だけだったのですが、あのときの彼氏がそれから精神病院に入ったということだけは誰かから聞いてはいても、間もなく小樽を離れたので彼氏とはもう二度と会うことはありませんでした。

 

 

 

 

 

 アルコール中毒(依存)の恐ろしさとその魅惑を描いた「酒と薔薇の日々」という映画がありましたね。その主題歌は今もスタンダード曲としてジャズミュージシャンに取り上げられていますが、人は破滅するのがわかっていても、その魅惑から逃れられないことが往々にしてあるように思われます。