何をどのように選べばよいのか悩みは尽きない

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Chet Baker.

 

 

 

 

 

  バンドとバンドが交代するときのチェンジ曲は大体どこの店に行っても、みんながすぐ演奏できる、誰もが知っている、キーもほとんどが一定のありきたりの曲という暗黙のきまりがあって、そういう意味では苦労しないのですが、その反面何十回、何百回と弾いたり、吹いたりするのですから当然飽きてくるわけです。

 

 今でも「ベサメムーチョ」というラテンの有名な曲なんかは、例えばジャズミュージシャンが取り上げた意欲的なアレンジだとわかってはいても、その曲名を聞く(見る)だけで拒絶反応に近い反応があって、とても聞くにはなれないほどです。

 

  バンドマンはそれぞれメモ帳と呼んでいるスタンダード曲を書いてある五線紙ノート(小さい片手に入るくらいの)を持ち歩いていて、他の人のメモ帳を見せてもらって自分にはない曲を追加したり、また逆のこともあったりという具合にお互いに助け合っているのですが、私が一番困ったのは、おたまじゃくしの間違いはほとんどなくてもコードネームがそれぞれのメモ帳で随分ばらばらで違っていたことでした。

 

 写す方の自分に正確なジャズ理論の基礎がないものですから、Aさんのコード進行とBさんのコード進行のその差、どうしてそのように進行していくのか、どうして同じ小節なのにこんなにコードネームが違ってくるのか、どちらが正しく、どちらが間違っているのか、それとも二人共が正しく、あるいは二人共が間違っているのかの判定ができないまま、初めはただひたすら貸してもらったメモ帳を写すだけだったのですが、自分でそのコードを一応ピアノで弾けるようになると、これは明らかにおかしい、すごくへんな響きがするとそれなりにわかるようになり、先輩から写し取ったメモ帳を訂正しながら弾くことが出来るようになってくるわけです。

 

 

 渡辺貞夫アメリカのジュリアードに留学して帰国してからその理論を易しく書き表してくれたジャズ理論書をベースに、1年間他のピアニストと共に学んだのはもうピアノに転向してから随分後のことで、それまでは今言ったように手探りで理論の基礎を探していた状態でしたので、この1年間の勉強は本当に目から鱗がぽろぽろと剥がれ落ちる経験が続いたわけですが、そこで先生から宿題が出されて次回に自分と友達の解答を見ると、やっぱり一人ひとりの個性、性格がおたまじゃくしの配列、コード進行にでてくるもので、絶対的な一つしかない数学のような解答は音楽ではあり得ないことがよくわかり、実感し、納得したものでした。

 

 コード進行やコードそのものの選択は一応の基礎ができれば、あとは基本、演奏者の自由になるので一見選択の幅が広がるように見えるのですが、逆に言うとその広い選択の場から何をどのように選ぶのかが問われてくることになるので、ピアノやギターのようにメロディとハーモニーの二つを同時に演奏できる楽器の場合、その選択の自由に悩むことにどうしてもなります。

 

 その先生の元で勉強しているときの宿題の解答で、先生がこれは良いと思ったものが手元に残されていて、私たちはそういう先輩の解答を見せてもらうのですが、さすがに選別されただけのことはあって、それらは皆洗練された響きのするものばかりで、凡才たる二人はためいきをつくばかり、ということが多かったのです。

 

 そういう私たちにためいきを付かせた一人に私も知っているギター奏者がいて、彼はそういうコードの選択、演奏の技術に対してあまりにも真剣過ぎた、神経質だった、その両方だったのでしょう、一時精神のバランスを崩して精神病院に入院してしまったほどの人がいました。

 

 私も悩み続けましたが精神のバランスを崩すほど突き詰めたことはないので、そのギターの彼氏に対してはある種の羨ましさを感じこそすれ、相方のピアノの彼とそういうふうにはなれないなあとまたもやため息をつくのでした。

 

 

 今現在は理論書にしてもあるいは実際の指導にしても、あの当時とは比較にならないほどの実践の場が用意されているようなのですが、それはそれで選択の幅がありすぎて、逆に何を選べばよいのか、その悩みが多すぎて困ることになっているのかも知れませんね。